帝国陸軍生産数第一位
この機体を語る上で重要な、九七式戦闘機が1937年に正式採用された。機体を製造していたのは中島飛行機だが、スピットファイアやBf109の登場に対し陸軍はより時代の潮流にあった機体を望み、同月に中島飛行機に対しキ43の試作を命ずる。群馬県の大田製作所で開発が始まり、1939年の完成を目指した。
基本的な設計は九七式戦闘機を踏襲し、ほぼ1年後の1938年12月に試作1号機が完成した。同月中には初飛行となっている。その後、エンジンの変更などを経つつ、1941年12月8日を迎え、実戦投入となる。
基本情報
用途:戦闘機
開発メーカー:中島飛行機
初飛行:1938年
生産数:5751機
全長:8.92 m
翼幅:10.8 m
全高:3.1 m
展示場所:シアトル・Museum of Flight・J. Elroy McCaw Personal Courage Wing
https://www.museumofflight.org/Exhibits-and-Events/Aircraft/nakajima-ki-43-iiia-hayabusa-oscar-reproduction
展示機体備考:
シアトル保管機
シアトルに保管されているこの機体は、千島列島の占守島から回収された機体をレストアし、飛行可能な状態にしたもの。エンジンは現用品を使用している。塗装は飛行第54戦隊第3中隊所属の製造番号15267号機のものを再現している。
日本軍の戦闘機はその多くが破壊・散逸・スクラップ化しており今日まで生き残っている機体が欧米に比べ非常に少ないが、一式戦闘機・隼に関して言えば生産数も多かったことから比較的世界各地の博物館で完全な状態のものを見る事が出来る。本機もその中の1機だ。
一式戦闘機は両翼に最大250kg爆弾または落下タンクを懸架可能だった。落下タンクを使用した場合、航続距離は3000kmとなった。落下タンクが無い場合、1620kmとなるので相当行動範囲が増えたわけである。
武装は機首に12,7mm機銃を2門。
戦争当時の連合軍による本機のコードネームは「Oscar」だったが、この博物館では「Hayabusa」として表記している。
パイロットスーツ及び所持品なども併せて展示されている。
パイロットの個人携行武器として南部十四年式拳銃が展示されていた。地味に、この至近距離でこの拳銃を見学出来る博物館はそう多くない。
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